元少年A『絶歌』の出版に批判の嵐!「サムの息子法」は導入される?

元少年Aの書いた『絶歌』は遺族の感情を無視していると批判が集中しました。

事件を食い物にした本が売れることに対して、懸念を示す声も多く上がっています。

なぜなら、元少年Aのもとには莫大な印税が入ってくるからです。




事件を起こせば億万長者になれてしまう

元少年Aの『絶歌』は、遺族の感情を考慮していないという批判が非常に多くなっています。

被害者遺族が現在どういった生活を送っているかは知る由もないですが、こんな本が出てしまうと世間から好奇の目で見られます。
ようやく事件の傷が癒えていたのに、非常に辛い状況に再び立たされます。

こういった理由から見た批判が多いのですが、じつはもう1つ「犯罪者の出版」についての問題点があります。

それは犯罪を題材にした作品によって「金儲け」ができてしまうという事実。
今回のケースでいえば、元少年Aは1997年に発生した神戸連続児童殺傷事件を起こしたからこそ、印税を手にしているわけです。

じつはこれは非常に危険な状況といえます。
なぜなら、金儲けを目的とした犯罪が急増する可能性が十分にあるからです。

たとえばの話ですが、いま絶望的な人生を送っている廃人がいたとします。
もうこれ以上生きていても望みがない。だったらいっそ、自殺してしまおう。そう考えます。

しかし、ふとこんなことが頭をよぎります。

「人を殺して、それを作品にすれば将来お金持ちになれるかもしれない…」

こんな危険なロジックが成り立ってしまう可能性が、現状の日本には存在しているのです。

だったら犯罪者の作品づくりを規制すればいいのでは?

そこで思い浮かぶのは「犯罪者の言論を統制すればいい」という考え方です。

今回の例でいえば、元少年Aがこうした本を出版できないような法律をつくればいい、という考え方になります。
一見すると、非常に合理的な考え方にも見えます。しかし、これは憲法に反している可能性が非常に高い考え方です。

憲法では、表現の自由が認められています。
表現の自由は民主主義を考えるうえで、根底にある重要な考え方です。

ですから、どんな理由であっても表現の自由を奪うことは民主主義を揺るがすことになりかないのです。

ではどうすればいいのでしょうか?
そこで出てくるのが「サムの息子法」という考え方です。

犯罪をして手にしたお金は没収するという法律

サムの息子法をわかりやすくいうと、「犯罪によって手に入れたお金はすべて没収します」という法律。
これはアメリカのニューヨーク州をはじめとする多くの州で制定されている法律です。

アメリカの連続殺人犯であるデビッド・バーコウィッツが自分のことを「サムの息子」と名乗っていたことに由来します。
この「サムの息子」にたいして、出版社が多額の報酬で手記の出版を持ちかけたことが問題になり、法律制定のキッカケとなったのです。

日本でも「サムの息子法」は導入される?

単純な感情論だけでいえば、多くの人がサムの息子法の制定に賛成するでしょう。

もし自分の最愛の人が犯罪に巻き込まれたとしたら…。
それだけでも怒りと悲しみで震えるのに、さらに最愛の人の死で金儲けされた日には気が狂うでしょう。

ですから、近いうちに日本でもサムの息子法が導入される可能性は十分にあります。

ただし、この法律を1つの側面から見るのは危険です。

じつは、1991年にニューヨーク州で「サムの息子法」は違憲とされています。
なぜなら、その犯罪について触れられている表現物の収益をすべて没収していたからです。

わかりやすくいうと、ちょっとでも犯罪について触れられている作品はすべてが禁止されてしまう可能性があるということになります。

これは出版や表現の自由にも大きく関わってくるところですね。

分かりやすくいうと、「ライブドア事件」と呼ばれた証券取引法違反に触れている堀江貴文さんの著作『我が闘争』や、『盗んだバイクで走り出す~』という窃盗罪の自認を含む尾崎豊さんの名曲『15の夜』でさえも、その収益が没収されかねないのです。このような優れた作品に触れる機会が減ってしまうことは問題です(元少年A「絶歌」出版なぜ批判集まる? 「サムの息子法」は導入すべきか

わたしは「サムの息子法」を日本でも導入すべきだと考えていますが、その際には十分な検討が必要でしょう。

どんな犯罪の表現物による収益を没収するのか、その範囲を定めるのも有効かもしれません(殺人罪は収益没収。そのほかの犯罪は考慮する、など)。

『絶歌』によって犯罪ビジネスのリスクが顕在化したことには良し悪しあります。
しかし、問題意識をあらためて持たせたことは一定の意味があったと言えるのかもしれません。