なぜ、人は「小説の映画化は原作を超えられない」と言いたがるのか?

「映画もいいけど、やっぱり原作は超えられないよね」

日本では今までにどれくらいこういった会話が繰り広げられてきたのでしょうか。
わたしは、もう今後の人生でこのセリフを口にしないと決めました。

その理由は、「そんな事を言うやつにロクな人間はいない」と思い至ったからです。




小説と映画の関係性

1970年代後半から1980年代にかけて、角川書店が映画製作に乗り出してヒットを連発しました。
いわゆる「角川商法」と呼ばれるやり方で、映画と書籍を同時に売り出す方法です。

そこから月日が経ち、いまは小説がヒットすれば映画化、という流れが一般的になっています。
映画化が決まれば原作の小説には「映画化決定!」のオビが付けられ、本屋では大々的に扱われます。

映画化すれば本は売れます。ですから、出版業界にとっては有り難いこと。
それをとやかく言うつもりはありません。

なぜ「原作の方が面白い」と言いたいのか?

冒頭で述べた「原作は超えられない」というセリフ。
まず言えるのは、これは真実であるということ。映画は原作を超えられません。

でも、どうして人はわざわざ「原作は超えられない」と言いたくなるのでしょうか?
そこには人間の卑しさを知るヒントが隠されています。

  • ・「自分には違いがわかる」を演出できる
  • ・「自分は前から読んでた」と言いたい
  • ・大衆に流されたくない

人は誰でも「こう思われたい」とか「自分は人とはちがう」と考えています。
映画を否定して原作を支持することで、こうした自己顕示欲を満たすことができます。

これは音楽にも言えることで「自分はこのアーティストのデビュー時からCDを買っている」とドヤ顔でいう人は後を経ちません。
それが悪化すると「このアーティストは俺が育てたんだぜ」などと言い始めます。

ようするに「小説の映画化で世間は騒いでいるけど、俺はずっと昔からこの作品を知ってるんだ。俺はおまえらとはちがうんだ」という精神が「原作は超えられない」というセリフにつながります。

なぜ映画は原作を超えられないのか?

さきほども言いましたが、基本的に映画は原作を超えられません。
考え方によっては「あの作品を映像で観れるなんてハッピー!」というケースもありますが、これは少数派です。

では、なぜ映画は原作を超えることができないのでしょうか?
考えられる理由は以下のとおりです。

  • ・そもそも尺がちがう
  • ・小説は自分の思い描いた世界をつくれる
  • ・映画と小説は別モノだから

映画では小説の機微を描けない

まずなんといっても小説と映画ではその「尺」がちがいます。
分厚い小説作品で、読むのに何時間・何日とかかる作品でも、映画は2時間のパッケージにしないといけません。
ですから、微に入り細を穿った描写は映画ではカットされます。

小説は自由度がとても高い

小説は活字です。ですから情景や登場人物の顔や雰囲気を自分の想像で勝手に設定できます。
その証左に、映画化が決定すると「このキャスト、絶対ちがうよね〜」という発言がにわかに飛び交います。
ちなみに2015年に『イニシエーション・ラブ』が映画化されますが、果たして前田敦子の起用が吉と出るか。

映画にはノータッチの原作者

映画と小説は別モノ、という考え方もできます。
たとえば2007年本屋大賞にもノミネートされた劇団ひとり著『陰日向に咲く』は小説がヒットしました。
この小説は映画化もされましたが、劇団ひとりさんは「映画には一切タッチしない」という方針をとったそうです。
その理由は、映画と小説は別モノという考え方があったからでしょう。

これらの理由から、原作は映画を超えられないし、そもそも両者を比較するのは筋違いとも言えるのです。

大学時代に捨てた「原作のほうがおもしろい」発言

わたしがはじめて映画と原作のちがいについて考えるようになったのは中学生のときです。
有名な作品で気後れしますが、キッカケは貴志祐介著『青の炎』の映画。

もともと小説を読んだ上で映画を観に行きました。
はじめて女の子と観に行った映画ということもあり、「映画になんか集中できるかな…」と懸念は尽きませんでした。

しかし、実際に映画を見始めると自分が思い描いていたシーンがそのまま再現されていて、のめり込みました。
まさに「これこれ!これが欲しかった」という感慨にも似た思いです。

映画の途中で女の子から話しかけられたのですが、わたしは映画に夢中でしたので無視を決め込みます。
それくらい印象深い映画でした。

映画と小説の良い関係性

いままでの話と矛盾しますが、このときに初めて「映画と小説って良い関係性だな」と思えたのです。
小説で思い描いていた想像が実際に映像で観られる喜びを教えてくれるからです。

しかし、そこからいろんな映画を観てきましたが原作を超える作品にはなかなか出会えませんでした。

きっと中学生のときに「映画と小説の良い関係性」を一度味わってしまった反動もあったのだと思います。
大学時代のわたしは「原作は超えられない」発言を連発していました。
その理由はこれまで述べたように「俺は知ってる」という自己顕示です。

でも、それがいかに愚かな発言かを大人になって気づいたのです。
「原作は超えられない」という言葉のウラには自分をよく見せたいという心理があることに。
そして、映画と原作は比べるべきものではないということに。

「やっぱり原作は超えられないよね〜」という人がいると胸糞悪い気持ちになります。
でもそんなときには「映画と小説は別モノだよ」とドヤ顔で言ってやることに決めています。

でもよく考えたら「映画と小説は別モノだよ」発言も自己顕示欲のあらわれです。
結局「自己顕示欲ループ」からは一生逃れられないのかもしれません。