こんにちは、アユムです。
12月に入ると、毎年のようにM-1グランプリにワクワクしはじめます。
過去の優勝コンビはほぼ例外なくテレビで売れていますが、その多くが関西芸人なんですよね。
それを踏まえたうえで、M-1グランプリの漫才を徹底的に掘り下げたのが『言い訳 関東芸人はなぜM-1で勝てないのか』です。
この本は具体的なコンビ名を挙げてかなり詳細に漫才論を解説しています。
ナイツ・塙さんの深すぎる、超鋭い洞察にページをめくる手が止まらず一気読み。気づけば1時間弱で読み終えてしまいました。本当に面白かった。
すべてのお笑い好きに読んで欲しい1冊、くわしく見ていきましょう。
過去のM-1グランプリ王者をおさらいしてみる
過去のM-1グランプリについて知っておいたほうが、本書を読むのが格段に楽しくなります。
さらにいえば、実際にネタを覚えていたほうが「この漫才ネタにはこんな裏側があったのか」という驚きを味わえます。
とはいえ、ひとまず過去のM-1王者を知っておくだけでも十分だと思いますので、ザッとおさらいしておきましょう。
M-1グランプリ歴代王者 | |
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2001年 | 中川家 |
2002年 | ますだおかだ |
2003年 | フットボールアワー |
2004年 | アンタッチャブル |
2005年 | ブラックマヨネーズ |
2006年 | チュートリアル |
2007年 | サンドウィッチマン |
2008年 | NON STYLE |
2009年 | パンクブーブー |
2010年 | 笑い飯 |
2015年 | トレンディエンジェル |
2016年 | 銀シャリ |
2017年 | とろサーモン |
2018年 | 霜降り明星 |
(※2011〜2014年はフジテレビ「THE MANZAI」に移行したので不掲載)
M-1だけでカウントすると、過去の歴代王者には関西系の漫才コンビが多く並んでいるのがわかります。
「日常会話が漫才」という関西の強み
なぜ関西系が強いのか?本書ではかなり深く掘り下げて考察していますが、結論をひとことでいうと「生まれ育った環境がちがうから」です。
もっと掘り下げて言うと、日常会話が漫才のように繰り広げられている日々を送る関西人は強いということ意味しています。
つまり、関東芸人が関西芸人に漫才で戦いを挑むのはかなり不利ということなんですね。
このことを、本書ではわかりやすく以下のように説明しています。
ブラジルでは子どもから大人まで、路地や公園でサッカーボールを蹴って遊んでいます。同じように、大阪では老若男女関係なく、そこかしこで日常会話を楽しんでいる。それが、そのまま漫才になっているのです。
塙さんは「関西圏は南米。大阪はブラジル」という表現をしています。これがすごいしっくりくる。
毎日のようにおしゃべりをして、それが漫才として成立するような会話を繰り返していれば、否応なく「漫才の筋肉」みたいなのが絶対に身につきますよね。
僕は関東出身なのでよくわかりますが、日常会話が漫才になっているかというと、到底そんな代物ではない。
関西と関東の日常会話を比較すれば、「M-1で勝ちやすいのはどちらか?」という問いにはおのずと結論が出てくるわけです。
漫才を練習しないほうが良い理由
ここからは漫才論についての話になっていくのですが、僕がもうひとつ驚かされたのが漫才の練習についてです。
M-1グランプリの放送でもたまに映されますが、漫才コンビが壁に向かって二人で立ち稽古している姿って印象的ですよね。
あれを見るたびに僕は「芸人はこうやって血のにじむような努力を重ねてるんだろうな」と思っていました。
ただ、ナイツ・塙さんは「練習しないほうが良い」と語っています。厳密には「練習しすぎるのは良くない」と言っています。
その理由はいくつかあるのですが、僕が思わず膝を打ったのが以下の部分です。
あと、ありがちなのが、慣れてくると相手のセリフを聞き終える前に次のセリフを言っちゃうんだよね。(中略)この状況でこう言われたら、普通、少し間ができるだろうというところで、すぐに返してしまう。お客さんは瞬時に不自然さを感じ取ってしまう。
これはつまり、練習をやりすぎると日常会話とかフリートークで生まれるような自然な空気感を殺してしまうということです。
実際、中川家も練習しすぎないように意識しているようです。
ナイツの漫才でも予定にないセリフをたまに入れて、相方の土屋さんの素の部分を引き出すようにしているとのこと。
ネタ合わせをすれば当然漫才がうまくなるわけですが、その上手さが「ウケ」につながるとは限らないということですね。
これは本当にそのとおりだなと思うと同時に、漫才を練習して突き詰めたからこそ出てくる意見だなと思います。僕ら素人には絶対にたどり着けない見解。
漫才ってある意味「予定調和」のなかで生まれる笑いではあるけど、僕たち観客はどこか無意識のところで「自然な会話のなかで生まれる笑い」を求めているんでしょうね。
漫才の入り(つかみ)がそのあとのネタの良し悪しを決めてしまう
もう一つ「うわー、漫才ってそんなことまで考えて作るのかー」と軽く感動すら覚えた部分をご紹介します。
それは漫才の「入り(つかみ)」です。わかりやすくいえば、冒頭の自己紹介です。
じつはこの冒頭の入り方次第で、漫才の良し悪しが大きく左右されることがあるというのです。
容姿があやしげだと、いきなり「こいつ、ちょっと頭おかしんで」という振りをするコンビがいますが、それも馬鹿げていると思います。(中略)お客さんが自ら「この人、おかしいな」と気づくから、おもしろいのです。それを最初にばらしてしまったら、その時点で世界観が台無しになってしまいます。
冒頭の「つかみ」の印象も、僕たち観客がほとんど無意識で感じている部分ですよね。
言われてみて初めて思い知らされますが、たしかに芸人の立ち振る舞いとか容姿をパッとみて「こいつは○○なやつだ」っていうのを、僕は自分のなかで分類してから漫才を見ています。もちろん、無意識で。
「ボソッと面白いことをいうタイプ」とか「ちょっとブッ飛んだやつだ」みたいな感じでタグ付けしてるんですよ。
そのタグ付けがお客さんのなかで自然に生まれるからから漫才がおもしろくなるというのは、大いに納得です。
チュート徳井は「イケメンなのに変態」なのが良い
具体的なコンビ名を上げると、チュートリアルの徳井さんがわかりやすいと思います。
彼らが2006年のM-1で優勝したときのネタに「ちりんちりん」というのがあります。
徳井さんが、自転車についている「ちりんちりん」をなくしたことに対して、異常なまでの妄想を繰り広げるという漫才です。
僕はこのネタをあらためて見直しましたが、本当にぶっ飛んでると思います。よくこれを漫才にしたなと。
このネタがとんでもなく面白いのは、徳井さんの異常性があるからです。
僕に限らず、多くの人が「イケメンなのに、変態でヤバイやつ」という分類をしたはずです。だから、あそこまで爆笑が起きて、M-1王者になれたんだと思います。
もしそのことを冒頭のつかみで言ってしまったらどうでしょう。台無しですよね。
たとえば相方の福田さんが「こいつはね、こんなに容姿がきれいなのにド変態なんですわ」みたいなことを言ってしまったら、面白いネタもつまらなくなる。
これが、ナイツ・塙さんのいう「漫才の入り方が大事」ということなんだと思います。
内輪ネタに慣れてしまった三四郎
ネタの作り方や客との距離感についても面白い話があります。
例として挙げているのは、三四郎というコンビです。おそらく多くの人が三四郎の小宮さんをテレビで見たことがあるでしょう。
三四郎というコンビは「ブレイクしているのに売れない芸人」という妙なキャッチコピーをつけられているそうです。
なぜか?それはネタの作り方や習性にあるようで、塙さんは以下のように語っています。
彼らは小さなライブハウスでネタを披露する機会が多いからか、「お前、テレビに出るようになって調子に乗ってんな」とか、「だからうちの事務所は○○のほうを推してるんだよ」みたいな内輪ウケしそうな話ばかりするのです。
楽屋話は、若い人が集まる小さなライブだと「ここだけの話」感が出るので、異常なほどウケます。
三四郎の小宮(浩信)は特にそういう癖がついていて、すぐに「あなた、今、笑うところですよ」みたいなことを口走る。お客さんも直接話しかけられると嬉しいものだから、つい笑ってしまうのです。
うーむ、たしかにそうだなぁ(笑)僕も三四郎のネタを見たことがありますが、たしかに内輪ネタというか「大衆がウケるネタ」ではない気がします。
これも芸人として舞台に立ってみないとわからない感覚ですが、おそらく「これ言えば鉄板で笑いが取れる」みたいなのが習慣化すると、それがクセになってしまうんでしょうね。
そして、お客さんイジりについても「本当の芸が身につかない」という理由で、塙さんは否定的です。
これは決してネタの優劣の話ではなく、M-1で勝てるネタかどうかの話です。
コンテストで勝つためには、こうした内輪ネタは排除しなければいけないということです。
無意識レベルで感じていた「芸人の凄さ」を顕在化してくれた本
僕は芸能人が書いた本は「色が付いている」感じがするので、あまり好んでは読みません。
でも、この本はめちゃくちゃ良かった。読んで良かった。
なにがスゴいって、漫才のネタがいかに緻密に作り込まれているかがわかるから。これは、やはりプロの漫才師にしか書けません。
お笑い芸人をテレビで見ているとき、僕たちはただリラックスして笑っています。だから、彼らの凄さを感じられるのは「無意識下」でしかありません。
つまり、気づかないところでその凄さに笑っているのです。
この本は、僕たちが一生気づかないであろう芸人の凄さを意識のなかに顕在化してくれます。
本書を読めばM-1グランプリ、ひいては漫才を見ることがもっと楽しくなること間違いなし。ついでに、塙さんのことが好きになります(笑)
ぜひ読んでほしい!