※少々、批判的な内容になっております。その手の記事が苦手な人は読まずに、そっと画面を閉じることをおすすめします。
こんにちは、アユム [ @kot_book ] です。
7月17日、待ちに待ったキングダム最新刊がKindleで配信されました。
前回の57巻では、龐煖と李牧が秦軍に追い詰められ、キングダム全体の中でも3本の指に入るくらい白熱するシーンでした。
「さあ、信は龐煖を倒すのか?そして、李牧と決着をつけるのか?」というシーンから始まるのが今回の58巻です。
最初に感想を言ってしまうと、龐煖を倒すシーンがあっけない印象で非常に物足りなく感じました。
羌瘣の禁術で信を”蘇らせてしまう”
さらに、戦闘シーンとは関係ない、別のシーンが間に差し込まれるので、信と龐煖の戦闘が飛び飛びで、間延びしてしまっている印象です。
さらに残念だったのが、羌瘣が信を蘇生するシーン。これはいただけません。
龐煖を倒したあと、信も命を落としてしまいます。しかし、かろうじて生き残った羌瘣が「自分が信の命を救う」といって、過去になんとなく学んだ”禁術”を使って信を生き返らせます。
ここでおそらく多くの読者が「これ、信の命と引き換えに羌瘣が死ぬやつじゃん…」と思ったはず。
そう思ったからこそ感情移入できたんですよね。
しかし、結局のところ羌瘣が死ぬわけではなく、寿命の半分を分け与えるという感じで、信を蘇らせることに成功するのです。
なんというか、信も羌瘣も助かった結果、どっちつかずのシーンになってしまった気がしています。
もちろん、羌瘣が生きのびてくれてホッとしたのも事実ですが、龐煖を倒すという一大シーンなわけなので、羌瘣が引き換えに命を落とすという描き方でも良かったのではないかと思ってしまいます。
人を生き返らせる話を書いたら、もうおしまい

『キングダム 58巻』原泰久、集英社
羌瘣が信を復活させるという、いきなり差し込まれるファンタジー要素に僕は心底がっかりしました(『キングダム』自体が壮大なファンタジーではありますが)。
これまでわりと史実に基づいた創作で描かれてきただけに、そのギャップを痛烈に感じます。
羌瘣が別の世界を見ているファンタジー的なシーンは過去にも何度かありました。しかし、今回に関しては”人間を蘇らせる”という、あからさまなファンタジーです。
これまで、「死ぬ人は死ぬ」というスタイルで描いてきたキングダムと比較すると、人を蘇らせるという描写はまさしく”禁術”。
これをやり始めてしまうと、もうマンガの展開に感情移入できなくなります。誰かが死んでも「また復活させればいいじゃん」とか考えちゃいますからね(羌瘣の禁術は1回しか使えない仕様みたいですが)。
龐煖との決着は、キングダム全体のなかでもとりわけ重要なシーンだったはずですが、余計な要素が多すぎて、なおかつ戦闘シーンを引っ張りすぎたせいで間延びしていました。
もっというと、龐煖を倒したあとに信が死んでしまうシーンを描く必要はなかったと思います。正々堂々、龐煖を倒して、信には生き残って欲しかった。
まあ、これは読者の勝手な願望なので、言ったところで仕方ないんですけどね…。
これまで、僕はキングダムを通算で5回以上全巻通読してきました。その中で「この巻はよくないなぁ」と思ってしまったのは、58巻が初めてです。
批判的な内容ばかりであまり気分の良い記事ではないと、自分でも自覚しています。気分を害された方がいたらすみません。
キングダムが好きだからこそ批判的に書いているということをご理解いただけると幸いです。