こんにちは、アユム [ @kot_book ] です。
戦争には何かしらの怒りや憎悪、さらには利権が絡んでいます。
しかし、国はそういった感情をあらわにすることはありません。なんらかの「言い訳」をつけて、戦争を正当化しようとします。
今回は過去の戦争国がそれぞれ用いてきた「都合のいいプロパガンダ」をまとめた1冊をご紹介。
この本を読めば「あの戦争国の主張には、もしかしたら裏があるのかも?」、そんな疑問を持てるようになるはずです。
戦争で使われる「10の常套句」
まずは最初に、本書で紹介されている「戦争における10のプロパガンダ」をまとめて見ておきましょう(プロパガンダとは、「特定の主義・思想についての宣伝」を意味する)。
- ① われわれは戦争をしたくはない
- ② しかし敵側が一方的に戦争を望んだ
- ③ 敵の指導者は悪魔のような人間だ
- ④ われわれは領土や覇権のためではなく、偉大な使命のために戦う
- ⑤ われわれも意図せざる犠牲を出すことがある。だが、敵はわざと残虐行為におよんでいる
- ⑥ 敵は卑劣な兵器や戦略を用いている
- ⑦ われわれの受けた被害は小さく、敵に与えた被害は甚大
- ⑧ 芸術家や知識人も正義の戦いを支持している
- ⑨ われわれの大義は神聖なものである
- ⑩ この正義に疑問を投げかける者は裏切り者である
これらのプロパガンダは、第一次世界大戦や第二次世界大戦で戦争国が実際に用いたものです。
パッとみてすぐに「なるほどね」と思えるものもあれば、「なぜわざわざこんな主張するのよ?」と思うものもあるかと思います。
いずれにしても、ただ感情に任せて戦争に踏み切るのではなく、巧妙な”言い訳”や”正当化”をして戦争をしていることがわかります。
われわれは戦争を望んでいるわけではない
戦争におけるプロパガンダで1番わかりやすいのが「① われわれは戦争をしたくはない」というものです。
圧倒的多数の人は戦争を望んでいませんから「戦争を望んでいる」と言ってしまえば、大きな反感を買います。
ですから国の指導者や幹部は「戦争をしたくはない」という主張を行うわけです。
そしてそれは2つめの常套句である「② しかし敵側が一方的に戦争を望んだ」というプロパガンダにつながっていきます。
要するに「戦争はやりたくないけど、あっちが仕掛けてきたんだ」という論理で戦争を始めるわけです。
これは小学生のケンカで繰り広げられる「向こうが殴ってきたから殴り返したんだ」という理屈と基本的には同じことです。
たとえば、第二次世界大戦のきっかけとなったポーランド侵攻において、ドイツ総統・ヒトラーの以下のような書き送りがあります。
ポーランドにおいてドイツ系住民の多くは迫害を受け、強制連行されたうえ、非常に残虐な手段で殺される者も出ている。(中略)これまで中立的な立場をとってきた我国ドイツも、正当な利権を守るため、必要な措置をとらざるをえないことになった
そもそも、ポーランド国内においてドイツ人が迫害されているというのがドイツおよびヒトラーの自作自演と言われているのですが、上記の文の最後にもあるように「ドイツは戦争をしたくないけど、あっちが悪いからやらざるを得ない」という理屈で戦争に動いていることがわかります。
好戦的なイメージの強いヒトラーですが、そんなヒトラーでさえ「戦争はしたくないけど、やらざるを得ない」というプロパガンダを用いていたというのは興味深い事実です。

首相への悪口は、国民への悪口
自分が戦争をする国のリーダーになったとしましょう。相手国に勝つためにやるべきことは何でしょうか?いろいろありますが、有効なのは「相手の戦意を喪失させること」です。
戦争において大切なのは物資や武器ですが、それ以上に「戦意」が重要になります。
いかにして相手国の戦意を失わせるか?そして、自国の戦意を高めるか?
有効な手段のひとつが相手国のリーダーを悪く言うことです。それが「③ 敵の指導者は悪魔のような人間だ」というプロパガンダになります。
本書には簡潔に、以下のような解説があります。
相手国の戦意を弱体化させるためには、まず指導者の無能を強調し、指導者が信頼性や清廉性を疑わせることが必要になる。
これはおおいに納得できる部分かなと。自分の国のリーダーが無能で信頼できない人だったら「本当にこの戦争やって大丈夫なの?本当に勝てるの?」と心配になりますからね。
もちろん、これは自国のメディアが他国のリーダーを批判することによって、自国の国民戦意を高めることにも使うことができます。
たとえば、日本のメディアが「あの国のリーダーは無能である」と報道すれば、そのリーダーに対する悪いイメージは日本国民の意識に定着します。
戦争の武器に優劣はないはずなのに…
「⑥ 敵は卑劣な兵器や戦略を用いている」というプロパガンダについては、少々説明が必要かと思います。
「あの国(相手国)は、卑劣な武器を使ってる」というプロパガンダは、一見すると論理的で筋が通っているように見えます。
しかし、実際には戦争の武器に優劣はないはずです。にもかかわらず、なぜこのようなプロパガンダが用いられるのか?
必死に戦っているのに勝利の可能性が感じられず、新兵器をもっていないぶん自分たちのほうが不利だということに気づく。(中略)自国がおこなうときには合法的かつ巧妙な戦略として有効な「奇襲」も、敵陣が仕掛ければ卑劣な行為として非難の対象となる。
自分が不利な状況を武器のせいにして、それを感情に訴えようとするのが「敵は卑劣な兵器や戦略を用いている」というプロパガンダの本質です。
そもそも、戦争で人を殺すこと事態が残虐的な行為なわけで、それに使われる武器をとやかく言うのは筋違いというか、論理のすり替えとも取れます。
第一次世界対戦では、毒ガスを使用したドイツを連合国が糾弾しました。これも一見すると筋が通っているように思えますが、本質的ではありません。
本書にある以下の説明は、非常に核心をついています。
毒ガスというのは、他の兵器に比べてそれほど「野蛮」で非人道的なものだろうか。顔面負傷兵とガスを吸った兵士とどちらが不幸かを論じても意味がない。
戦争で使われる拳銃やマシンガンよりも、毒ガスのほうが圧倒的にイメージが悪いでしょう。
「毒ガス=残虐」というイメージが強いのは、毒ガスそのものが特殊で日常的には使われてないからとも考えられます。
馴染みがないから、怖い。この心理は少なくとも毒ガスに対する悪いイメージにつながっていると思います。
しかし、銃と毒ガスのどちらが悪いかなんていうのは結論を出しようがないんですよね。結局は人を殺す道具なんですから。
たとえば、あまり想定したくはないですが、顔面をマシンガンで打たれて苦しみながら死ぬのと、毒ガスで苦しみながら死ぬのはどちらがいいでしょうか?
身もふたもないですが、感じ方は人それぞれです。つまり、「毒ガスを使うのは卑劣だ」と主張するのはまったく筋が通ってないことがわかります。
メディアの情報に流されないために
いまの日本は平和ですが、いつ戦争が起きるかなんてわからないですよね。
戦争で都合よく使われるプロパガンダは、僕たちが日常的に見聞きするメディアでも使われます。
戦争耐性がない平和な僕たちは、おそらくメディアが報じる内容を鵜呑みにしてしまうでしょう。
言うまでもないですが、一人ひとりの意識がやがては国民全体の戦争意識を形成します。
つまり、一人ひとりがメディアに対する意識を高く持たないと、あっという間に国民が悪いほうに流れてしまうわけです。
ありきたりな話にも思えますが、戦争に使われるプロパガンダを知っておくことが、自分自身、ひいては国が悪いほうに傾いてしまうことを防いでくれるはずです。